科学的に効果的な練習楽曲の選択テクニック

第4話:モチベーションと学習環境 ― 歌唱を続ける力を育てる

歌唱スキルは、正しい練習方法だけでなく「続けられる力」に大きく左右されます。
そもそもボイストレーニングにおけるタスクや、楽曲そのものの難易度を正確に理解すること自体が難しく、多くの学習者が「この曲は自分に合っているのか」「なぜ歌いにくいのか」と迷います。

こうした状況で、モチベーションが続かない練習が習慣にならないといった問題は頻繁に起こります。ここでは、心理学と教育学の研究をもとに、歌唱の学習を支えるモチベーションと学習環境の設計について考えます。


1. 内発的動機づけと外発的動機づけ

自己決定理論(Self-Determination Theory, Deci & Ryan, 1985; 2000) によれば、モチベーションには「内発的」と「外発的」があり、長期的な学習継続には「自律性・有能感・関係性」の3つが満たされることが重要です。

歌手にとっては:
自律性(Autonomy):自分で練習方法や曲を選べる感覚
有能感(Competence):小さな成功体験を積み重ねること
関係性(Relatedness):信頼できるボイストレーナーや仲間の存在

これら3つはいずれも内発的動機づけの基盤とされており、満たされることで「自分の内側からやりたい!」という意欲が生まれます。逆に欠けると、外発的な要因(発表会で褒められる、オーディションに合格する、先生に叱られないようにする等)に依存しやすくなり、長期的には練習の持続が難しくなります。


2. フィードバックとモチベーション

自己効力感(self-efficacy, Bandura, 1997) は「できる感覚」を伴うと次の挑戦を生みます。

そのため、フィードバックは:
– できなかった点の指摘「だけ」ではなく
– できた点を強調しつつ、改善点を明確に示す

というバランスが求められます。

さらに OPTIMAL理論(Wulf & Lewthwaite, 2016) では、外的フォーカス、自律的選択、ポジティブなフィードバックが揃うと、学習効率が最大化されるとされています。これはボイストレーニングにおいても有効で、言葉選び一つで練習の質が変わることを示しています。


3. 学習環境と課題設定

ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD, 1978) によると、学習は「少し背伸びすればできる課題」で最も効果的に進みます。簡単すぎても難しすぎてもモチベーションは下がってしまうのです。

歌唱では「楽曲選び」がZPDの設計に直結します。そこでボイストレーナーが意識すべきは、楽曲のハードルを異常に高くしないこと、そして難易度を冷静に分析することです。

楽曲難易度の分析指標

中〜高音域の出題頻度
– 男性:E4以上の出題が多く、さらにC4以下の着地音が少ない曲は要注意
– 女性:G4以上の出題が多く、さらにE4以下の着地音が少ない曲は要注意

伸ばす音(Sustain Note)の頻度と高さ
– 伸ばす音が多い楽曲は難しい。(Journey / Open Arms等良い例だと思います)

上昇フレーズの頻度
– 一般的には下降フレーズの方が容易

ベルト・ノート(Belting Note)の出題頻度
– 強く出す音が多いほど難しい(My Days ミュージカルNotebookより/ Defying Gravity/Wickedより)

リフの速度・音数
リフが速く長いほど難しい(Don’t you worry bout a thing/ Tori Kelly)


4. 課題曲の選択とモチベーション

自己決定理論の観点からは、学習者に「選択権」を与えることがモチベーションを高めます。
ただし、楽曲の難易度を見極めるには知識と自己評価の正確さが必要です。

そのため、効果的な流れは次のようになります。

最初の数曲ボイストレーナーが課題として提示
その後:生徒とボイストレーナーが交互に課題曲を提案

この方法により:
– 学習者は「自分で選ぶ」自律性を感じられる
ボイストレーナーは適切な範囲での導きを提供できる

結果として、学習効果とモチベーションの両立が可能となります。


5. まとめ

– モチベーションはボイストレーニングの継続と成果を左右する
– 自律性・有能感・関係性はいずれも内発的動機づけの基盤である
– フィードバックは「できた点+改善点」の両方を含める
– 楽曲選びはZPDに基づき、難易度を分析して設定する
– 課題曲はボイストレーナーと生徒が協力して選ぶことで自律性と導きを両立できる

次回(第5話)では「練習時間の設計と集中力」に注目し、歌唱スキルを効率よく積み重ねる方法を探ります。

練習とフォーカスの科学 ― 効率的なスキル定着
歌手の学習方法を学ぼう!― 基礎理論とフィードバック
ボーカルフライの効能とリスク

歌声の機能回復を目的としたボイストレーニング・発声調整はこちらをどうぞ

この記事を書いた人

桜田ヒロキ
桜田ヒロキ
米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。

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