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ボーカルフライの効能とリスク 〜ボイストレーナーの視点から〜
- 2025.09.03
- ボイストレーナー育成 ミックスボイス 加齢による声の変化 声の健康法 歌手の発声障害
ボーカルフライとは何か 声帯を極端に低い振動数で鳴らし、声門閉鎖時間が長い発声をボーカルフライと呼びます。 特徴としては、低い呼気流、長い閉鎖期、粘膜波の振幅が抑制されることが挙げられます。 言語聴覚士(SLP)の領域では「声門閉鎖促通」の一手法として古くから用いられてきました。 効能:一時的に声門閉鎖を改善する Bolzanら(2008):ボーカルフライ後に粘膜波振幅が改善し、声門閉鎖も向上。 臨床報告(小規模):声帯結節や声帯溝症のリハビリに短時間使用すると、声門閉鎖が一時的に改善。 ケースシリーズ(成人5例):フライ直後に喉頭・鼻咽腔の閉鎖機能が改善。 → 一時的に「閉じ感」を思い出させるトレーニングとして有効とされています。 リスクとデメリット 長時間使用のリスク 30分間連続使用で発声しきい圧(PTP)が0.4 cmH₂O上昇(Svec, 2008)。努力感が増大し、発声負荷が高まる可能性があると報告されています。ただし、このような「30分間連続での実施」は実際のトレーニング現場ではまず行われず、研究的に負荷を観察するための条件と… 続きはこちら≫
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ライトチェストと誤診しないように〜ボイストレーナーが気をつけるポイント〜
- 2025.09.01
- ボイストレーナー育成 ミックスボイス 声の健康法 歌手の発声障害
第1話「本当にライトチェストですか?無理な「閉鎖トレーニング」が生むリスク」では、女性の声にしばしば見られる「後方ギャップ」を誤解したまま、無理に閉じさせるトレーニングを行う危険性についてお話ししました。今回は、その補足として「トレーナーが実際にレッスンで気をつけるべき視点」を、研究データを交えてまとめてみたいと思います。 1. 息っぽさ=閉鎖不足、ではない 後方ギャップは「異常」ではなく、多くの健常女性に自然に存在します。Chhetriら(2014, Journal of Voice)は20〜30歳の健常女性56名を調査し、85.7%で後方ギャップが観察されたと報告しました。しかし、その大多数は感覚的に認識できる息っぽさがないと評価されており、音響指標(基本周波数、声の震えの指標であるジッターやシマー、声の成分とノイズの比率を示すHNR)にも有意な悪化は見られませんでした。 つまり、「息が聞こえる=閉鎖が甘い」という単純な発想は正しくありません。ギャップがあっても声が明瞭であれば、それは生理的に正常な範囲と考えるべきです。 2. 無理な閉鎖はリスクが高い Sve… 続きはこちら≫
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舌骨とボーカルマッサージ – 舌骨サーフ(Hyoid Surf)
はじめに 歌っているときに「喉が詰まる」「高音で引っかかる」「声が重たい」と感じることはありませんか。 その原因のひとつが、舌骨周囲の筋群に生じる過緊張です。 舌骨は小さな骨ですが、顎・舌・喉頭をつなぐ重要な役割を持っています。ここに力みが生じると発声全体に大きな影響が広がり、機能性発声障害(MTD)とも関連して症状が強くなることがあります。 この繊細な部位を解放するための手技のひとつが、舌骨サーフ(Hyoid Surf)です。 舌骨とは? 舌骨は首の中央付近、下顎のすぐ下に位置するU字型の小さな骨です。 人体で唯一、他の骨と直接関節を持たず、筋肉と靭帯だけで支えられています。 舌を動かす舌骨上筋群(顎舌骨筋・顎二腹筋・舌骨舌筋など) 喉頭を支える舌骨下筋群(胸骨舌骨筋・肩甲舌骨筋・甲状舌骨筋など) これらの筋が舌骨に付着し、舌・顎・喉頭をつなぐ要の役割を果たしています。 舌骨周囲筋が固まるリスク 舌骨周囲の筋肉が固まると、歌手にとって深刻な問題が起こります。 ・喉頭が高い位置に固定され、高音が詰まりやすくな… 続きはこちら≫
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シンガーのための声の衛生 — 科学と実践から考えるボイスケア
1. 潤滑と水分補給(Hydration) 声帯は振動する粘膜組織であり、水分状態が発声効率に直結します。研究では、体内水分(systemic hydration)と声帯表面の潤滑(superficial hydration)の両方が、発声閾値圧(Phonation Threshold Pressure: PTP)を下げることが示されています。 PTPが低い=声を発する労力が少なく済む、ということです。十分に水分が保たれた声帯は柔軟に振動でき、長時間の歌唱でも負担が軽減されます。逆に脱水状態では、粘性が高まりPTPが上がり、発声が重たく、疲労や嗄声を招きやすくなります。 桜田の現場から 私のクライアント、特に女性シンガーに質問すると、ほとんど全員が水分摂取不足です。基準としては「体重(kg) × 30〜40ml」の水分摂取を心がけることが望ましい。例えば50kgの方であれば1.5〜2ℓです。日々の飲水習慣が声の質に直結するのです。 2. ボーカル衛生教育プログラムの有効性(歌手を対象と… 続きはこちら≫
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本当にライトチェストですか?無理な「閉鎖トレーニング」が生むリスク
ボイストレーナーの皆さんにとって、生徒の声をどう評価し、どのように改善の方向性を提示するかは非常に重要な役割です。その中で「声門閉鎖の質」をどう扱うかは、発声指導の核心のひとつでしょう。 しかし最近、女性の声における「後方ギャップ」を誤解したままトレーニングを行っている例を耳にします。特に「ライトチェスト」というラベルのもと、閉鎖が弱い=もっと閉じさせるべきだ、という短絡的な指導が増えているようです。 後方ギャップは「異常」ではない 研究では、若年女性の約85%以上において、知覚上「息っぽさ」がないにも関わらず、ストロボスコピーで後方にわずかな開き(後方ギャップ)が確認されています。つまり、女性の後方ギャップは生理的に自然な現象であり、必ずしも音質や健康に悪影響を与えるものではありません。 にもかかわらず、「息が漏れているに違いない」「もっとしっかり閉じないとダメ」という誤った前提から指導を進めると、問題は逆に深刻化します。 後方ギャップのある声門閉鎖 無理な閉鎖トレーニングの弊害 後方ギャップを「埋めよう」とするあまり、強制的に声門を強く… 続きはこちら≫
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声の予算(Vocal Budget)— 練習負荷を科学的に管理する視点
1. 桜田の現場から見る「声の過剰使用」 プロ志望の方にとって、連日の本番を声を嗄らさず乗りきることは最大の目標です。しかし、楽器奏者と異なり、声には練習しすぎのリスクがあります。 実際、私の生徒で声帯結節を2度手術した方がいましたが、長時間の練習が癖になり、気づけば1日10時間練習していると。これは明らかなるオーバーユースであり、即座にスケジュールを見直す必要がありました。 2. 声の予算(Vocal Budget)とは? 声も筋肉と粘膜から成る組織です。過負荷を「出費」、休息や水分を「貯蓄」ととらえ、どれだけ“使える声”を保てるかを管理するのが 声の予算です。 3. 科学的裏づけ:声のドーズ(Vocal Dose)研究 指標 説明 Phonation Time Dose 総発声時間の累積 Cycle Dose 周波数 × 発声時間 →「総振動回数」(歩数計の総歩数に相当) Distance Dose SPL(音圧レベル)などから推定した振幅 × サイクル →「声帯移動総距離」(歩数… 続きはこちら≫
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歌手に多い「機能性発声障害(筋緊張性発声障害)」とは?
まずは定義から 機能性発声障害(筋緊張性発声障害)は、声帯やその周囲に器質的な異常がないのに、喉頭内外の筋肉が過度に緊張し、発声が非効率になる機能性音声障害です。 特徴的な所見としては、喉頭の挙上、仮声帯の過剰な内転、喉頭の前後圧縮などが見られます。 歌手の場合、これに伴って ・声が出しづらい ・息漏れやかすれ ・声が不安定になる ・レンジの一部が使えなくなる といった症状が出ます。 歌手に発声障害が多い理由 メタアナリシスによると、歌手の自己申告ベースで約46%が何らかの音声トラブルを経験しており、その主要な診断の一つが発声障害(MTD)です。 ジャンルを問わず起こり得ますが、特に高負荷の歌唱(ミュージカル、ポップスなど)や、長時間のリハーサル・公演スケジュールを抱える歌手でリスクが高まります。 誤診と見落としの課題 MTDは器質的な病変がないため、一般的な耳鼻咽喉科の診察(話声だけの評価)では見逃されることがあります。 専門施設でのストロボスコピーや(声帯の動きをスローで観察できる機器)歌唱課題を含む評価によって初めて診断されるケースも少なく… 続きはこちら≫
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サーカム・ラリンジャル― 声を過緊張から解放するための科学と実践
はじめに 歌手や歌手志望の方にとって「声の出しにくさ」や「喉の詰まり感」は日常的な課題かもしれません。 高音に差し掛かると喉が固まる、長時間の稽古後に声が重たくなる、発声時に無意識に力んでしまう…。 こうした状態の背景には、機能性発声障害(筋緊張性発声障害) や、代償的な発声パターンの習慣化が隠れていることがあります。 この問題に対して注目されているのが、サーカム・ラリンジャル・マッサージ(Circumlaryngeal Massage, CLM)、通称ボーカルマッサージです。 サーカム・ラリンジャル・マッサージとは? サーカム・ラリンジャル・マッサージは、喉頭や舌骨周囲の外喉頭筋を手技で緩める方法です。 Aronson(1990)によって臨床的に整理され、その後「機能性発声障害(筋緊張性発声障害)」の治療や、歌手の声のコンディショニングに用いられるようになりました。 主な目的 ・甲状舌骨筋や舌骨上筋群の過緊張を緩和する ・喉頭の高位化や固定化を解除し、可動性を回復させる ・代償的に作られた発声習慣をリセットする ・発声訓練の前準備として、神経‐筋ネ… 続きはこちら≫
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ボーカルマッサージと発声訓練 ― 職業歌手に必要な“緊張解除”と“運動学習”の二段構え
はじめに 歌手にとって「声の調子が悪い」「高音が引っかかる」「長時間歌うと喉が重く感じる」といった感覚は、決して珍しいものではありません。 その背景には、単なる疲労だけではなく、機能性発声障害(筋緊張性発声障害) や、無意識に身につけてしまった 代償的な発声パターンが隠れている事があります。 リハーサルや公演を重ねるほどに、喉周りの筋肉は「歌うための支え」ではなく「過剰な緊張」を積み上げてしまうことがあります。 ここで注目されているのが、ボーカルマッサージと発声訓練を組み合わせた二段構えのアプローチです。 1. ボーカルマッサージがもたらす効果と限界 ボーカルマッサージ=即効性がある、これは多くの歌手が体感するところです。 研究でも、ボーカルマッサージを施した直後にジッター(音の高さの震え)やシマー(音量振幅の不安定性)が減少。 HNR(ハーモニック・ノイズ比)が改善(よりツヤのある声になる) といった音響的改善が確認されています(Rezaee Rad et al., 2018)。 しかし重要なのは、基本周波数(F0=話声位)は変わらない という事実です… 続きはこちら≫
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クラシックからベルト唱法への移行とリスク
クラシック発声を基盤として訓練を積んできた女性歌手が、ミュージカルやポップス(CCM)に挑戦する際に直面する大きな課題のひとつが「ベルト唱法」への適応です。 クラシックの声区操作や共鳴戦略をそのまま用いてベルトを試みると、過剰な声門閉鎖・喉頭挙上・喉周囲筋の緊張を伴い、機能性発声障害(筋緊張性発声障害)に発展する危険性があります。 これは臨床的にもよく見られる問題であり、ジャンル移行が単なる「スタイルの違い」ではなく、生理学的にまったく異なる発声パターンへの再学習を要する複雑な課題であることを示しています。 桜田ヒロキ考察 桜田ヒロキは、クラシックの声区制御をそのまま残してベルトを試みる女性歌手を多く見てきました。 多くの場合、喉頭を無理に押し上げてしまう「代償パターン」が身体に染みつき、喉頭全体の過緊張に繋がります。 特に女性のクラシック発声とベルト発声の違いは、甲状被裂筋(TA)の介入の度合いにあります。 ベルトでは TA の介入によって声門閉鎖率(CQ)が上昇し、声区チェンジの位置自体が高く設定されます。 しかし、TA の関与が弱いまま「地声的な音色」を作… 続きはこちら≫