ボーカルマッサージと発声訓練 ― 職業歌手に必要な“緊張解除”と“運動学習”の二段構え

はじめに

歌手にとって「声の調子が悪い」「高音が引っかかる」「長時間歌うと喉が重く感じる」といった感覚は、決して珍しいものではありません。
その背景には、単なる疲労だけではなく、機能性発声障害(筋緊張性発声障害) や、無意識に身につけてしまった 代償的な発声パターンが隠れている事があります。

リハーサルや公演を重ねるほどに、喉周りの筋肉は「歌うための支え」ではなく「過剰な緊張」を積み上げてしまうことがあります。
ここで注目されているのが、ボーカルマッサージと発声訓練を組み合わせた二段構えのアプローチです。

1. ボーカルマッサージがもたらす効果と限界

ボーカルマッサージ=即効性がある、これは多くの歌手が体感するところです。
研究でも、ボーカルマッサージを施した直後にジッター(音の高さの震え)やシマー(音量振幅の不安定性)が減少。
HNR(ハーモニック・ノイズ比)が改善(よりツヤのある声になる)
といった音響的改善が確認されています(Rezaee Rad et al., 2018)。

しかし重要なのは、基本周波数(F0=話声位)は変わらない という事実です。
2024年のメタ解析(Barsties & Latoszek)でも、F0改善は一貫して確認されなかったと報告されています。
→つまりボーカルマッサージは「声を出しやすくする土台を作る」には効果的ですが、声の高さそのものや神経‐筋の発声パターンを学び直す働きはないのです。

2. 適切でない声の高さと筋緊張の関係

歌手にとって「どの高さで声を使うか/話すか」は、緊張に直結します。

声を押し下げるプレス発声
TA(甲状披裂筋)の過緊張により、話声位が不自然に低くなる。結果、首の前側に常時テンションがかかりやすい。

裏声発声で声が高めに設定されるケース
CT(輪状甲状筋)優位となり、声が薄く安定感を失う。
話声位は高めだが、地声域では支えが効かず不安定に。
こうした状態では「マッサージで緩めても、数日経つと元に戻る」ことが多いのです。
なぜなら、声の高さの習慣そのものが緊張を作り出すからです。

発声学の研究でも、
プレス発声の改善にはレゾナント発声やSOVT練習で本来の高さに誘導することが有効(Verdolini et al., 2006)。
高すぎる話声位の改善には、Vocal Function Exercises(Stemple, 1994)やPhoRTE(Ziegler, 2014)といったTA強化エクササイズが推奨。
→ つまり、発声訓練による“声の高さの最適化”が不可欠なのです。

3. ボーカルマッサージと発声訓練の併用効果

ここで重要なのが「二段構え」です。

研究の裏付け
Craigら(2015)の研究では、
・ボーカルマッサージ単独
・発声訓練単独
・両者併用
・プラセボ
を比較。
結果、最も改善が大きかったのは併用群で、特に話声位(F0の適正化)やMPT(最長発声持続時間)の改善が顕著でした。

さらに近年の歌手を対象にした臨床試験(2023–2025)でも、
・ボーカルマッサージで筋緊張を解除し、“声を出せる状態”に戻す。
・その直後に発声訓練で正しい高さ・筋バランスを再学習させる。
という二段階の流れが有効であることが示されています。

結果として、SVHIスコア、MPT(最長発声持続時間)、F0の適正化(話声の高さ)が併用群で有意に改善しています。

4. プロの歌手にとっての意味

職業歌手にとってこれは単なるリハビリだけの話ではありません。

・ツアー中の声の持久力
・本番直前のコンディション調整
・稽古期間の負荷軽減

すべてに直結する「声のパフォーマンス最適化」の戦略です。

マッサージで喉の柔軟性を作る → 発声訓練で“再構築する”

この繰り返しは、ピアニストがピアノを調律した後に改めて運指トレーニングを行うようなものです。
調律(ボーカルマッサージ)だけで演奏力が上がるわけではなく、指の運動(発声訓練)があって初めて演奏が完成します。

まとめ

・ボーカルマッサージは筋緊張を解除し、神経‐筋ネットワークの伝達をスムーズにする
・発声訓練は適切な高さ・筋バランスを再学習し、運動学習を完成させる
・両者を併用することで、発声障害の寛解と同時に歌唱トレーニングの効率化が可能

歌手が「本当に使える声」を維持するためには、緊張の解除と再学習のセットが必要です。
ボーカルマッサージと発声訓練は、それぞれが片翼のような存在。
両方を組み合わせることで、初めて声は安定した飛翔を続けられるのです。

ボーカルマッサージについてはこちら

変声期を迎えた少年歌手の発声障害の例

ツアー中に発声障害に罹患したロック歌手のケース(第1話)

歌声の機能回復を目的としたボイストレーニング・発声調整はこちらをどうぞ

この記事を書いた人

桜田ヒロキ
桜田ヒロキ
米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。

RECOMMEND
関連動画

過緊張な発声状態を解決します。

発声において、特に高音域の発声で最も邪魔な物で出来るだけ早急に取り除きたいモノです。過緊張発声(Hyper Tension)、つまり声を出すのが苦しい状態からの解除方法を徹底解説します。

WATCH MORE

声楽からミュージカル歌手の歌い方へ変えたい!

声楽を学んできたが、CCM(コマーシャル・コンテンポラリー音楽)の発声方法も習得したいクライアント様のレッスン。

WATCH MORE

リズム感を強化してもっとカッコよく歌いたい!

R&Bを歌いたいのだけど、キレがなく、なんとなくまったりしてしまうと言うのが悩みのクライアント様のケースを解説します。

WATCH MORE

高い音に段々上がるたびに声を出すのが辛い理由とは?

高音域になればなるほど、どうして声を出すのがキツく感じてしまうのか?
どうすればその壁を乗り越えられるのか?
それらを理論に基づいて解説していきます!

WATCH MORE

ビブラートや、フェイクが苦手。棒うたいになってしまう方に必要なエクササイズを紹介します

ボイストレーナーは低音〜高音まで無理なく発声する事、豊かな音色、声の柔軟性をトレーニングするために、その声に最も適した最も声門下圧を作る事を目指します。

WATCH MORE

高音の地声やベルトを出す前のウォーミングアップ方法を大公開!

「ベルティングの練習する前に、どんなエクササイズってどんな練習をしたら良いの?」そんなあなたのために、2オクターヴを使うボイトレメニューをご紹介していきたいと思います!

WATCH MORE
レッスンを予約する