男性の声の加齢変化:掠れと高音化の科学的背景
声は年齢を最も顕著に映しだす
歌声は「楽器としての身体」の機能がそのまま現れるため、加齢の影響がきわめて明確に可聴化されます。
特に男性においては、声帯筋の萎縮、甲状軟骨の骨化、呼吸機能の低下といった解剖学的・生理学的変化が、声質と音域に直結します。
その結果として現れるのが、いわゆる「高齢男性の声」に特徴的な 掠れと基本周波数(ピッチの上昇 です。
つまり、私たちが日常で耳にする「おじいさんの声」とは、単なる老化の産物ではなく、声帯と喉頭枠組みの変化が組み合わさって生じる、科学的に説明可能な音声現象なのです。
声帯筋の萎縮と閉鎖不全
加齢男性の声で最も顕著に現れるのが、声帯閉鎖の不完全さです。
声帯筋(thyroarytenoid muscle)が萎縮し、質量が減少すると、発声時に声帯が完全に閉じなくなり、隙間から空気が漏れます。
これにより、声は掠れ、息漏れ感が強まり、声量も低下します。歌手にとってはロングフレーズの維持が難しくなり、特にレガート歌唱で表現力の低下として現れます。ここでの改善には、専門的なボイストレーニングの実践が大きな助けとなります。
研究の裏付け
– Linville (2001) は、高齢男性の声帯筋の質量低下と閉鎖不全の関連を報告。
– Sato & Hirano (1997) は、声帯の組織学研究で加齢による筋線維の変性を確認しています。
甲状軟骨の石灰化とフレームの硬化
声帯の動きは、甲状軟骨と輪状軟骨による「枠組みの可動性」に支えられています。
男性では加齢とともに甲状軟骨が石灰化・骨化しやすく、喉頭のフレームが硬化します。
これにより、声帯を十分に伸展できず、高音域が制限されるのです。さらに、レジスター移行がぎこちなくなり、若い頃には自然だったチェストからヘッドへの移行がスムーズにいかなくなります。ボイストレーナーの指導による発声調整は、この制限をカバーする重要な手段となります。
研究の裏付け
– Riede et al. (2023, Scientific Reports): 甲状軟骨の形態変化は加齢とともに進行し、男性で顕著。
– Honjo & Isshiki (1980): 男性喉頭の石灰化による可動性低下を報告。
なぜ高齢男性の声は高くなるのか?
「歳を取ると声は低くなる」と思われがちですが、実際には男性の声は高齢期にやや高くなる傾向があります。
これは声帯筋の萎縮によって声帯の厚みが減り、振動周期が速くなるためです。
つまり、掠れと高い声が同時に現れるのは必然的な現象なのです。
研究の裏付け
– Vorperian et al. (2018, PLoS ONE): 男性のF0は中年まで安定するが、高齢期には上昇傾向を示す。
– Decoster & Debruyne (2000): 声帯萎縮によるF0上昇を確認。
音質の変化:粗さと不安定さ
加齢した男性の声は「粗さ(roughness)」や「不安定さ」も特徴的です。
声帯閉鎖の不全が振動を不規則にし、倍音構造が乱れるため、声の安定感が失われます。
歌唱では、若い頃のような「低音の厚み」「豊かな倍音」を失いやすく、バリトンやバスのレパートリーで特に顕著に影響します。こうした音質の変化に対しても、ボイストレーニングを通じた改善の余地があります。
研究の裏付け
– Stathopoulos et al. (2010, JSLHR): 高齢男性の声強度と安定性低下を報告。
– Linville (1996): 高齢男性の声の不安定化を記録。
呼吸機能の低下とスタミナ不足
声は呼吸に支えられています。
男性は加齢とともに筋肉量が減少し、呼吸筋力が低下するため、発声を支える呼気圧が不足します。
結果として、長いフレーズを支えることが難しくなり、歌唱中に息切れを起こしやすくなります。ボイストレーナーが呼吸法を再設計することで、こうした問題を軽減できます。
研究の裏付け
– Hoit & Hixon (1987): 高齢男性では呼吸支持力が低下し、発声持続時間が短縮。
– Stathopoulos et al. (2010): 高齢者は呼吸圧・流量の制御が困難になると報告。
ボイストレーニングと生活習慣でできること
男性の声の加齢変化は避けられませんが、適切なボイストレーニングや生活習慣によって進行を遅らせたり補正することが可能です。
– SOVTエクササイズ(ストロー発声など):声門閉鎖を改善し、息漏れを軽減。
– 呼吸筋トレーニング:ロングトーンや呼吸抵抗を使った練習で呼吸支持力を維持。
– レゾナント・ボイストレーニング:発声効率を高め、声の粗さを軽減。
– レパートリー調整:高音に無理が出始めた場合はキーを調整し、響きでカバー。
研究の裏付け
– Titze (2006): SOVTエクササイズが声門閉鎖改善に有効。
– Kapsner-Smith et al. (2015): レゾナント・ボイストレーニングによる音声機能改善を確認。
フィットネストレーニングの重要性
加齢による声の変化は、喉頭や声帯だけではなく、全身の筋力低下とも密接に関わります。
特に男性では、加齢とともに筋肉量が減少し、呼吸筋や体幹の安定性が低下するため、声の支えが弱くなります。
ここで有効なのがフィットネストレーニングです。
– 筋力トレーニング:呼吸筋や体幹筋を鍛えることで、声の支えを強化。
– 有酸素運動:全身持久力を高め、長時間の歌唱にも耐えられるスタミナを維持。
– ホルモン分泌への影響:研究では、定期的な運動が男性ホルモン(テストステロン)の分泌を促し、発声機能や代謝の改善に寄与することが示されています。
ボイストレーニングとフィットネストレーニングを組み合わせることで、声を支える土台をより強固にできるのです。
水分摂取と声帯粘膜の健康
もう一つ見逃せないのが水分摂取です。
加齢により体内の水分保持能力は低下し、喉頭や声帯の粘膜が乾燥しやすくなります。これが声の疲労感やザラつき、声域の縮小につながります。
研究でも、十分な水分摂取が声帯振動の効率を改善することが確認されています。
– Sivasankar & Fisher (2002): 水分補給は声帯振動の効率を改善し、発声時の抵抗を減少させる。
– Tanner et al. (2010): 脱水状態では声の疲労が増加し、発声持続力が低下すると報告。
若年期以上に、高齢期の歌手は積極的に水分を摂取する必要があります。1日の水分量を体重×30〜40mlを目安にすることで、声帯粘膜の潤いを維持しやすくなります。ここでもボイストレーナーのアドバイスが役立ちます。
まとめ―声を科学し、変化を受け入れる
男性の声の加齢変化は、声帯筋の萎縮、甲状軟骨の硬化、呼吸筋の低下という解剖学的・生理学的現象に裏付けられています。
その結果、私たちが耳にする「おじいさんの声」は、掠れと高音化の組み合わせとして現れるのです。
しかし、これは単なる衰退ではありません。
科学的根拠に基づいたボイストレーニング、全身のフィットネストレーニング、そして水分摂取の習慣を組み合わせることで、声の老化を遅らせ、新しい表現を開拓することが可能です。
声は年齢とともに変化します。
けれども、変化を理解し、受け入れ、磨き直していくことができる。
男性歌手にとって、それは「楽器を一生かけて進化させ続ける旅」であり、ボイストレーナーと共に歩むべき道でもあるのです。
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この記事を書いた人

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米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。
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