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クラシックからベルト唱法への移行とリスク
クラシック発声を基盤として訓練を積んできた女性歌手が、ミュージカルやポップス(CCM)に挑戦する際に直面する大きな課題のひとつが「ベルト唱法」への適応です。 クラシックの声区操作や共鳴戦略をそのまま用いてベルトを試みると、過剰な声門閉鎖・喉頭挙上・喉周囲筋の緊張を伴い、機能性発声障害(筋緊張性発声障害)に発展する危険性があります。 これは臨床的にもよく見られる問題であり、ジャンル移行が単なる「スタイルの違い」ではなく、生理学的にまったく異なる発声パターンへの再学習を要する複雑な課題であることを示しています。 桜田ヒロキ考察 桜田ヒロキは、クラシックの声区制御をそのまま残してベルトを試みる女性歌手を多く見てきました。 多くの場合、喉頭を無理に押し上げてしまう「代償パターン」が身体に染みつき、喉頭全体の過緊張に繋がります。 特に女性のクラシック発声とベルト発声の違いは、甲状被裂筋(TA)の介入の度合いにあります。 ベルトでは TA の介入によって声門閉鎖率(CQ)が上昇し、声区チェンジの位置自体が高く設定されます。 しかし、TA の関与が弱いまま「地声的な音色」を作… 続きはこちら≫
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変声期を迎えた少年歌手の発声障害の例
子役の変声期に直面する現場から 変声期を迎えるミュージカルの子役のトレーニングを担当することがあります。 子役はストーリー上とても重要な役を任されることが多く、舞台では高い歌唱力が求められます。 しかし、思春期にあたる彼らは精神的にも不安定になりやすく、本人も親御さんも非常に苦労されます。 男子の変声期では、しばしば「この美しい高音を残したい」と本人・親御さんの双方が強く望みます。 しかし実際には変声期は子供の声から大人の声へ切り替わる時期であり、本来であれば低音化して成熟した声質に適応していく必要があります。 ところが「少年の声を残したい」という願望のままトレーニングを続けると、かえって発声障害に陥ることがあります。 [caption id="attachment_1743" align="aligncenter" width="170"][/caption] 以下に紹介するのは、アメリカで報告された事例のひとつです。 ケーススタディ 背景 ・変声期前からボーイソプラノとして活動し、裏声(falsetto/頭声)を多用していた。 ・変声期に入り… 続きはこちら≫
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ツアー中に発声障害に罹患した歌手のリカバリー法は?(第3話)
- 2025.08.17
- ボイストレーナーのお仕事 加齢による声の変化 声の健康法 歌手の発声障害
前回まで、アメリカで実際に起きた発声障害と、そのリカバリーのプロセスを紹介してきました。最終回となる今回は、現場で役立つ具体的なアドバイスをまとめてみます。 インイヤーモニターの設計術 ステージでの歌唱に大きく影響するのが、イヤモニの音作りです。 多くのアーティストは「自分の声をしっかり返して欲しい」とリクエストしますが、逆に声が大きく聞こえすぎると、発声がぶれてしまうこともあります。 実際、桜田のクライアントの中には「声を少し引っ込める設定」に変えたことでリハから本番まで安定するようになった方がいます。 注意したいのは、モニターエンジニアが聴いている音と、歌手本人が聴いている音は同じではないという点です。 アーティスト歌っている時、常に「自分の生声」も聴いており、さらに生声はイヤモニの音に干渉します。 そのため、エンジニアの調整だけで完結せず、本人の感覚とのすり合わせが不可欠です。 「サンドイッチ練習」で声を軽く保つ 本番直前におすすめなのが「サンドイッチ練習」。 SOVT(ストロー発声など)→歌唱→SOVTという流れで行い、軽やかな発声感覚を思い… 続きはこちら≫
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ツアー中に発声障害に罹患したロック歌手のケース(第2話)
前回は、ツアー中に代償的な発声が固定化してしまったロック歌手のケースを紹介しました。 今回は、実際に行われた治療とトレーニングのプロセス、そして本人がどのように感じたのかを見ていきます。 初期の対応 最初の段階で大切なのは「声をすぐにリセットして良い状態に持って行く事」です。 歌手はステージを止めることが難しいため、短時間で効果を感じられる介入が優先されました。 ・喉頭マニュアルセラピー:首や喉周囲の筋肉を直接ほぐし、過剰な緊張を緩める マニュアルセラピーについては詳しくはこちら ・ストロー発声(SOVT):声帯への負担を減らし、効率的な振動を取り戻す ・インイヤーモニターの調整:声を無理に張り上げなくても聞こえる環境を整える 歌手はこの段階で「喉の締め付けが少し和らいだ」「高音が少し楽に出る」と語っており、即効性のある変化に大きな安心感を覚えていました。 中期のトレーニング 次のステップは、代償的な発声を少しずつ置き換える作業です。 レゾナント系発声(響きを強化する):軽く響きを伴った声を思い出す → 言語聴覚士がよく行う「レゾナント… 続きはこちら≫
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ツアー中に機能性発声障害に罹患したロック歌手のケース(第1話)
アーティストは非常に過酷な環境で歌唱を要求されています。 特に売れている時期や、売り出し時期には、一般の仕事に例えるなら「ブラック企業に勤めている状況で歌うことを求められる」ようなものです。 休息が不十分なままステージが続き、さらにメディア露出や移動も重なることで、声は常に限界ギリギリに追い込まれます。 今回は3編に渡って、アメリカで実際に発声障害に陥ったアーティストの診断からリカバリーまでを追ってみようと思います。 ロックバンドのメインボーカル ・全国ツアー中、連日90〜120分のステージ ・サウンドチェック、移動、インタビューで休息不足 ・インイヤーモニターの返りが不十分で、つい声を張ってしまう このような状況は、ツアーでは珍しいことではありません。限られたリハーサル時間や会場ごとの音響の違いが積み重なり、どうしても負担が増してしまうのです。 発症経緯 ・初週のステージから声枯れが出始める ・高音部を無理に押し出すような発声が増える ・苦しい発声を繰り返すうちに「代償的な発声」が固定化 ・声が出にくい → さらに力む → さらに悪化、という悪循… 続きはこちら≫
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声の病気と代償的な発声のケーススタディ
〜手術とリハビリから学ぶ歌手への警鐘〜 声帯ポリープや結節といった病変は、歌手にとって避けて通れないリスクのひとつです。 声を多く使うプロ・ボイス・ユーザーは常に怪我や不調とのリスクと戦っています。 声帯結節などが出来た場合、「手術をすればすぐに声が戻る」と思われがちですが、実際の現場ではそう単純ではありません。 術後に残る「代償的な発声」 桜田がVocologyの中で受けたクラスの中で紹介された症例では、 声帯ポリープを二度手術で取り除いたにもかかわらず、声は依然として低く、息漏れが強く、声量も戻りませんでした。 原因は、長期間にわたり 病変を抱えた声帯に合わせて作られた発声習慣(代償的な発声) です。 ポリープや結節がある状態で歌い続けると、 ・喉の奥で力んで声門を強く押し閉じる。 ・逆に声門を十分に閉じられず、息漏れで補う といったパターンが「その人の声の出し方」として固定されます。 手術で病変を除去しても、この癖が残れば自然な発声には戻れません。 桜田の現場で起きたこと 桜田のクライアントの中にも、代償的な発声の影響で 地声が… 続きはこちら≫
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歌手の機能性発声障害(MTD)と代償発声の落とし穴
歌手が声の不調を感じたとき、その原因を「筋肉の疲労」だと考える方は多いでしょう。確かに筋肉疲労は要因の一つですが、それだけではありません。 過酷な本番や稽古によって“代償的な発声”が習慣化し、機能性発声障害(筋緊張性発声障害)に発展するケースが少なくないのです。 代償発声が招く二次性MTD MTDには大きく分けて**一次性(Primary)と二次性(Secondary)**があります。 一次性は明らかな器質的異常がないのに筋緊張が起こるタイプ。 二次性は、声帯や周辺機能の異常・負荷に対して、喉頭や首肩の筋肉を過剰に使って“代償”することで固定化してしまうタイプです。 例えば… ・高音を出すときに喉頭を強く引き上げる ・声量を出そうとして仮声帯を締める ・舌や首周りの筋肉を過剰に動員する こうした代償動作は一時的には音を出せても、結果的に喉周辺の緊張を慢性化させ、声の質や持久力を低下させます。 本番・稽古が引き金になる理由 ・長時間のリハーサルや連日の本番 ・精神的プレッシャーによる無意識の力み ・怪我や一時的な声帯不調をかばうための無理な発声… 続きはこちら≫
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歌手のおかれる環境と医療現場のギャップから生まれる、機能性発声障害(MTD)の難しさ
歌手特有の声の世界 歌手の声は単なる「音声」ではなく、芸術表現そのものです。 発声の細部には、声区の移行、音色の変化、ブレスやビブラートのニュアンスなど、一般の話し声とは大きく異なる複雑な要素が絡み合っています。 しかし、こうした歌唱の特殊性や芸術性を理解することは、必ずしも医療従事者にとって容易ではありません。 MTDの誤診リスク 機能性発声障害(筋緊張性発声障害)は、器質的な損傷がないにもかかわらず、声帯周辺の筋肉の過緊張によって声の出しにくさや質の低下を招く機能性音声障害です。 プロ歌手では、特定の音域だけ出しにくい、長時間歌うとコントロールが効かなくなる、といった症状が現れることがあります。 問題は、これらの症状が「歌唱技術の不足」や「使いすぎによる一時的な疲れ」と誤解されやすいこと。 話声だけを基準に診断すると、歌唱中にのみ現れる微妙な筋緊張や声の破綻を見逃してしまい、診断や治療が遅れることも少なくありません。 専門評価の必要性 MTDを正確に診断するには、以下のような専門的アプローチが必要です。 ストロボスコピーによる声帯振動の観察 歌唱… 続きはこちら≫
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声の疲労、その正体は筋肉疲労だけじゃない!
多くの歌手やボイストレーナーは「声の疲労=筋肉の疲れ」と考えがち。 「筋トレの超回復のように、適度に声を痛めつければ強くなる」というのは誤解です。 声の疲労の本当の原因 声帯は発声中に毎秒100回。テナーの高音では500回、ソプラノの高音では1000回以上も振動しています。 その時に生じる最大の負担は、筋肉の疲れだけではなく、声帯粘膜同士の摩擦です。 この摩擦が強くなると、 ・粘膜内で熱が発生 ・微細な損傷 ・摩擦熱を下げるために組織内の水分移動による浮腫 が起こります。 歌唱と話し声と比べる16倍以上の摩擦熱が生じる事も 特に高音や大音量で歌うと、エネルギー損失は急増します。 1オクターブ上がるごとに摩擦熱は4倍、2オクターブで16倍にもなると言われています。 これが声質の劣化や音域制限の大きな原因です。 なぜ「超回復」理論が声には通用しないのか? 筋肉は損傷後の回復で強くなりますが、声帯の粘膜は同じ構造ではありません。 過剰な摩擦で粘膜が硬化・線維化すると、柔軟性が失われます。 声帯はトレーニングでは「傷つけない」ことが前提にな… 続きはこちら≫
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オーディション審査の音域記入欄を検討してみた
- 2025.08.12
- お知らせ
Techniqued Vocal Range Index(TVRI)技術的歌唱音域の指標について 従来のオーディションでは、応募者に「音域(Range)」を自己申告させるケースが多く見られます。 例:地声はG3〜E5、裏声は〜 など。 しかし、この数字だけでは、実際に現場で使える声の幅を正確に判断することはできません。 そこで提案したいのが「技術的歌唱音域の指標」、Techniqued Vocal Range Index(TVRI)という新しい評価指標です。 これは、応募者が“どこまで出るか”ではなく、“どこまで音楽的に使えるか”を可視化するための方法です。 従来の音域申告の課題 単純な音域申告には、以下の問題があります。 瞬間的に出せる音と、持続して歌える音が混同される 短く出せても、フレーズとして使えない音は実用的ではありません。 声区ごとの特性が反映されない 地声・ミックス・頭声で同じ高さでも発声負荷や音質が異なります。 選曲やキャスティングのミスマッチを招く(と言うか、無駄な審査時間を取らせない事を優先する) 申告値… 続きはこちら≫