なぜ発声障害の音声療法はマッサージとSOVTに偏るのか? 2話

なぜ喉頭マッサージ(LMT)とSOVT(半閉鎖声道発声)では治らないのか? ——専門家も警鐘を鳴らす“Shortcut Therapy”と、歌手の機能性発声障害の根治に必要な視点


発声の不調で相談に来られた方に治療歴を伺うと、多くの方が次の2つを挙げます。

喉頭マッサージ(LMT)を数回受けた 」
SOVT(半閉鎖声道発声)で練習した」

これは日本に限らず、海外でも共通して語られる“典型的な治療体験”です。そして多くの歌手が同じように言います。

「少しは良くなるけれど、すぐ元に戻ってしまう」
「歌うと症状が出る。会話は問題ないのに」

これらは偶然ではなく、発声障害治療における構造的な問題です。
なぜ発声障害の音声療法はマッサージとSOVTに偏るのか?では、なぜ機能性発声障害の再発が起こりやすい喉頭マッサージやSOVTが治療の中心になっているのか?について述べました。

本稿の第2話では、なぜ治療が喉頭マッサージ(LMT)とSOVTの2つに偏りやすいのか、その背景を整理し、専門家が警鐘を鳴らす理由を探ります。そして、歌手の機能性発声障害(筋緊張性発声障害/MTD)が“治りにくい構造”を持つ理由について、研究と臨床的知見を踏まえて深く掘り下げます。

歌手の機能性発声障害(MTD)の本質は、“発声運動の誤学習と固定化”にある

機能性発声障害(筋緊張性発声障害/MTD)は「喉の筋肉が固い」ことが問題だと捉えられがちですが、実際にはそれは表面的な現象に過ぎません。
本質は、“発声行動そのものが誤って学習され、固定化してしまっている状態”にあります。
これは、喉頭周囲の緊張だけで説明できる問題ではありません。

・呼吸と発声の連動の誤り
・声門閉鎖の質の問題
・共鳴腔の使い方の誤り
・音色操作の過負荷
・姿勢や胸郭の固さ
・喉頭が不自然に高い/低い位置で固定してしまう

こういった複合要因が“誤学習された動作”として定着した結果、発声が破綻します。
歌唱では、さらに問題が露呈します。
会話では問題がないのに、歌うと破綻するのは、歌唱が会話よりも遥かに複雑で高負荷なタスクだからです。

高音・強い声門閉鎖・音量のダイナミクス・母音遷移・声区の連結など、会話音声では要求されない能力が必要になります。そのため、歌手の発声障害は“会話レベルの改善では治らない”のです。

ダンスの世界で例えると非常に理解しやすい

この「誤学習」という概念は、ダンスの世界で例えると非常にわかりやすくなります。

関節の可動域が狭い(身体が硬い)= 喉頭周囲が硬い(LMTで改善しやすい部分)

身体が硬ければ動きも悪くなり、怪我のリスクも上がります。これは喉頭周囲の過緊張とよく似ています。喉頭マッサージ(LMT)は、この「柔軟性」に相当する部分を改善します。

しかし“身体が柔らかい=踊りが上手い”とは限らない= “喉の緊張がほぐれる=発声が改善する”とは限らない

踊りが上手くなるには、柔軟性だけでなく、
・重心の使い方
・足さばき
・腕の動き
・音楽との同調
・振付の理解
・体幹のコントロール
といったスキルの“再学習”が必要です。

これは発声の世界にもそのまま当てはまります。

可動域(柔軟性)= 喉頭マッサージ(LMT)で改善 
ダンススキル(動作の質)= Motor Learningで改善

つまり、喉頭マッサージ(LMT)は「動きやすい身体を作る」段階であり、 “踊りそのもの”を学び直すプロセスは別に必要なのです。発声も同じで、喉頭の柔軟性を整えただけでは発声障害の根治にたどりつきません。

喉頭マッサージ(LMT)の研究が示す「短期的効果と限界」

喉頭マッサージ(LMT)は、過緊張状態の軽減に非常に効果があります。 しかし研究を読み込むと、その性質が明確に示されています。

Mathieson(UCL)
LMTは頸部・喉頭周囲の筋緊張を大幅に下げるが、 異常な発声行動そのものは改善しないと明言。

Roy(2020 review)
LMT単独治療は短期効果に留まる傾向があり、 筋緊張の“リセット”にすぎない
歌手は歌唱タスクの負荷が非常に高いため、緊張が再発しやすく、 喉が軽くなっても歌うとすぐ戻るという現象が起きやすい。このように、LMTは“入口として必要”ですが、 治療の本体ではないという点は近年の研究で一貫しています。

SOVT(半閉鎖声道発声)の効果と限界

SOVTは、発声効率を改善するための科学的裏付けのある方法です。
特に声門負荷を下げる効果は大きく、短時間で“声が出しやすくなる”と感じる人が多い。

しかしASHAを含む複数のレビューでは、以下が強調されています。

SOVTは発声効率の改善には有効だが、運動学習の代替にはならない歌唱のように負荷が大きいタスクでは効果が持続しにくい

例えば、
高音で声門閉鎖が強く必要になる
母音遷移が激しい
音量が大きい
息の流量コントロールが難しい
ベルティングのような特殊技法を使う

こういった条件では、SOVTだけで“発声行動の誤学習”を修正することは難しい。
つまり、 SOVTは“いい声が出る練習”にはなっても、“悪い癖の上書き”にはならないということです。

専門家が警告する「Shortcut Therapy(近道治療)」の増加

喉頭マッサージ(LMT)とSOVTに治療が偏る問題は、複数の専門家がすでに警告しています。

Verdolini
「LMTやSOVTは治療の“入口”であり、治療そのものではない。」

Roy
「即効性のある治療が好まれすぎており、根治率を下げている。」

Stemple(VFE開発者)
「行動変容が起きなければ、発声障害は再発する。」

これらの指摘は、治療の偏りが構造的な問題であることを示しています。

実はこの問題は“理学療法士の世界でも同じ”だった

興味深いことに、喉頭マッサージ(LMT)偏重の問題は音声医療だけに起きている現象ではありません。

理学療法の世界では以下の問題が長年指摘されています。

・徒手療法(マッサージ)だけに依存する治療の増加
・痛い場所だけを治療し、動作パターンを修正しない
・短期効果ばかりを追い、患者がすぐ再発する
・本来必要な「運動再教育(Motor Re-education)」が行われていない

特に学術的に有名なのが次の研究です。

McGill(腰痛研究)
「徒手療法は“痛みのリセット”であり、根治には動作パターンの再学習が必須。」

Jull(頸部痛の研究)
「治療後に運動制御が変わらなければ、頸部痛はほぼ確実に再発する。」

理学療法のSystematic Review
「マッサージ単独は短期効果のみ。長期改善には運動療法の併用が必須。」
これらは発声治療にそのまま当てはまります。

理学療法
徒手療法 → 再発 → 根治には運動再教育が必要

発声治療
喉頭マッサージ(LMT) → 再発 → 根治には運動学習が必要

つまりこれは、 “身体のリハビリ全体に起きている構造的問題”なのです。

根治治療の中心:発声行動の“運動学習(Motor Learning)”による再構築

機能性発声障害(MTD)が治るために必要なプロセスは明確です。

① 緊張を取る(LMT)
② 発声効率を整える(SOVT)
③ 発声行動そのものを書き換える(Motor Learning)
④ 歌唱タスクへ応用して定着させる

この④まで進んで初めて、歌手は“治る”という実感を得ます。

Motor Learningとは、
誤った発声行動を正しい行動に“上書き”し新しいパターンを安定させ変化した環境(歌唱など)でも維持できるようにする
という学習プロセスです。

治療の成否は、 RVTやVFEといった練習法を“どう教えるか(ML原則)”によって大きく変わります。

歌手の機能性発声障害は特に“会話→歌唱”の距離が大きい

一般の発声治療のゴールは「会話音声の改善」です。 しかし歌手は違います。

・適切な声門閉鎖
・音量のダイナミクス
・高音域
・ジャンル特性(ベルティング、R&Bのニュアンスなど)
・繊細な母音遷移

こういった高度なタスクに耐える発声を獲得しないと、ステージや現場では破綻します。そのため、

会話レベルの改善で治療を終了するのは、歌手の根治とは一致しないという問題が起きるのです。

第2話まとめ:なぜLMT+SOVTでは治らないのか?

・機能性発声障害(MTD)の本質は“発声行動の誤学習”
・LMTは柔軟性改善(可動域の改善)でありスキル改善ではない
・SOVTは効率化を支援するが誤学習の上書きにはならない
・専門家はShortcut Therapyの増加に警鐘を鳴らしている
・理学療法士の世界でも同じ現象が報告されている
・根治には運動学習(Motor Learning)による発声行動の再構築が必要
・歌手は“会話改善”だけでは治療が終われない
・歌唱タスクへの転移まで行って初めて再発しない発声が身につく

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この記事を書いた人

桜田ヒロキ
桜田ヒロキ
米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。

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