- 2025.09.08
- ボイストレーナー育成 マインドセット・練習法 ミックスボイス 歌手のための音声学
前回は運動学習の基礎、記憶システムとフィードバック法について書きました。 歌手の学習方法を学ぼう!― 基礎理論とフィードバック
歌のトレーニングは、ただ繰り返せば良いというものではありません。
ボイストレーニングの成果は、練習の「構造」をどう設計するか、また学習者の「注意」をどこに向けるかによって大きく左右されます。上達のスピードも定着の度合いも変化するのです。
運動学習の研究からは、歌唱指導やボイストレーナーの実践に直結する知見が多数示されています。
ブロック練習とランダム練習
歌手がフレーズを何度も繰り返す練習は典型的な「ブロック練習」です。対して、異なるフレーズや別の曲を混ぜながら練習するのが「ランダム練習」です。
– Shea & Morgan (1979) は、運動課題の実験で「習得初期にはブロック練習が有利だが、保持や転移にはランダム練習が優位」であることを示しました。
– その後の研究でも、ブロック練習は「短期的なパフォーマンス改善」に強く、ランダム練習は「長期的なスキル保持と応用」に強いことが繰り返し確認されています。
– 最新のメタ解析(2024年)でも、声を含む複数の運動課題で、保持におけるランダム練習の優位性が裏付けられています。
ボイストレーニングに当てはめると、同じフレーズだけを何度も繰り返すのは習得初期には有効ですが、定着させたいならば「別の楽曲や異なる難易度のフレーズと組み合わせる」ことが重要になります。これにより、単に声を出せる段階から「どんな場面でも再現できる声」を持つ段階へと進化できるのです。
MARIKAさんとのボイストレーニング
外的フォーカスの優位性
学習者の注意の向け方にも科学的な差があります。
– 内的フォーカス:身体そのものの動きに注意を向ける(例:「声帯をもっと閉じて」「舌を下げて」)。
– 外的フォーカス:動作の効果や外的なターゲットに注意を向ける(例:「声を壁の向こうに飛ばして」「響きを前に」)。
Wulf (2013) のレビューでは、外的フォーカスの方が学習・パフォーマンスの両方を一貫して改善することが示されています。
さらに歌唱を対象とした研究では:
– Atkins & Duke (2013):未訓練歌手に外的フォーカスを与えたところ、専門家による音色評価が改善。
– Atkins (2017):熟練歌手でも、遠位ターゲットを意識した方が音質が向上することを確認。
つまり、熟練度に関わらず「身体に注意を向ける指示」よりも「声をどう響かせるか」「どこに届けるか」という外的フォーカスを促すボイストレーニングの方が効果的なのです。
専門職への示唆
ここまでの知見から、ボイストレーナーや言語聴覚士は以下の点を実践に取り入れることができます。
1. 練習構造の工夫
– 習得初期はブロック練習で「わかる」状態を作る。
– 定着させたい段階ではランダム練習を導入し「いつでもどこでもできる」状態へ進める。
2. 指示の言葉選び
– 「もっと声帯を寄せて」よりも「この壁の向こうに声を飛ばして」のように外的フォーカスの言語を使う。
– 身体の構造を伝える解剖学的説明は知識として役立つが、実際の発声時には外的フォーカスを優先。
このような工夫は、学習者の「理解」を「再現性のある技能」に変換するために不可欠であり、ボイストレーニングの質を飛躍的に高めることにつながります。
桜田の現場エピソード
桜田がレッスンで出会ったケースに、G4からA4の音域がエクササイズでは安定して出せるのに、楽曲になると途端に崩れてしまう男性がいました。エクササイズの段階では発声の仕組みを理解し、音も出ているのに、実際の曲の文脈に入った途端に再現できなくなるのです。
これは「練習環境での成功」と「音楽的文脈での成功」が必ずしも一致しない典型的な例です。
このとき桜田は、単一の曲やフレーズを繰り返させるのではなく、あえてG4からA4が含まれる複数の楽曲を準備しました。
1レッスンの中で3〜4曲を横断的に歌わせることで、生徒は「ある曲なら歌えるけど別の曲では崩れる」といった偏りから抜け出さざるを得なくなります。
結果として、同じ音域に対する共通の発声パターンを探し出し、文脈が変わっても再現できる感覚を磨くことができるのです。
このアプローチは、特定のエクササイズや特定の楽曲に限定された発声ではなく、「G4からA4をあらゆるメロディや歌詞で安定して出す」という普遍的なスキルの習得につながります。
つまり、ブロック練習的な繰り返しから一歩進めて、ランダム練習の要素を取り入れることで、発声の再現性と応用力を飛躍的に高めることができるのです。
これはボイストレーニングの現場で特に重要な視点であり、ボイストレーナーが意識的に導入すべきアプローチです。
まとめ
練習構造と注意の向け方は、学習成果を左右する大きな要因です。
– 短期的な改善にはブロック練習
– 長期的な定着にはランダム練習
– 内的フォーカスよりも外的フォーカス
これらの原則を理解して練習を設計することで、歌唱スキルはより効率的に、そして持続的に身につけることができます。これは歌手にとっても、指導にあたるボイストレーナーにとっても極めて重要です。
次回(第3話)では、学習における「エラー」と「変動」の役割に注目し、どのように本番に活かせるスキルへと発展させるかを探っていきます。
第一話 歌手の学習方法を学ぼう!― 基礎理論とフィードバック
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この記事を書いた人

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米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。
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