結局ミックスボイスってなに?第3話-ジャンル別のレジスター移行

第3話:ジャンル別のレジスター移行 ― クラシックとCCMのブレイク戦略

歌の学習において避けて通れないのが「ブレイク/ブリッジの処理」です。
しかし、その対処法はジャンルによって大きく異なります。

クラシックとCCM(Contemporary Commercial Music=ポップスやミュージカルなど)では、同じ声帯の仕組みを持ちながらも、「ブレイクをどう扱うか」に全く異なる哲学と技術が存在します。

1. クラシック歌唱 ― ブレイクを「隠す」戦略


クラシック歌唱、特に女性ソプラノにとって「パッサージョ(換声点)」は避けられない課題です。
M1(地声的な振動)からM2(裏声的な振動)へ切り替わる時、声帯の厚みや張力が急激に変化し、ブレイクとして顕在化します。
クラシック歌手は、この不安定な移行を声道共鳴の操作でカバーすることを学びます。

具体的には:
– フォルマント(F1, F2)の調整
– いわゆる「カバーイング」で母音を暗めにシフト
– 同じピッチでもM1とM2を意図的に混合させる

Henrich (2006) は、女性クラシカル歌手のEGG分析において、M1とM2を柔軟に混在させて「断絶を避ける」発声戦略を確認しています。
つまりクラシックでは「ブレイクをなかったことにする」のではなく、「滑らかに隠す」ことを目指していると考察できます。

2. CCM ― ブレイクを「消す」戦略

一方、CCM(ポップス・ミュージカルなど)では事情が異なります。
観客に「話すように歌う」感覚を届けることが求められるため、ブレイクを聴かせない=消す方向性が重視されます。
そのために用いられるのが「ミックス」という概念です。

– M1を軽くして高音へ伸ばす(これがCCMの高音発声のストラテジーの基礎と考えられます)
– M2に声門閉鎖を加える、息の量を減らして「地声感」を与える
– スムーズなスライディングで移行点を馴染ませる
桜田の現場でも、CCM歌手には「ミドルボイス」と呼ばれる中間域の強化を重視しています。
SOVT(ストロー発声、リップトリル)や「軽い地声」を維持するトレーニングで、M1からM2へのつなぎを消し込むように整えていきます。

3. 男性と女性の違い

性別によってもレジスター移行の知覚は大きく異なります。
– 男性:M1が強く、移行点は「ブレイク」として顕著に現れる。特にE4-G4付近が問題になりやすい。
– 女性:M2を自然に使いやすく、移行は比較的スムーズ。ただしクラシックではパッサージョ技術を習得しなければ声がひっくり返るリスクが高い。

このため男性には「地声を軽やかに保つ」ことが重要であり、女性には「共鳴の調整を駆使して境界をなめらかにする」ことが必須となります。

4. 桜田の現場経験

桜田のレッスンでは、特に男性のクライアントにはカバーイング練習を取り入れる事があります。
過剰に声を明るくした結果、叫ぶ(プルチェスト)をしてしまう方に対して音響エネルギーの暴走を防ぐためです。
母音を暗めにし、F1とF0(基本周波数・ピッチ)の関係を調整することで移行が目立たなくなります。
クラシック手法をボイストレーニングに応用する案です。

逆に、明るい母音+軽い地声を保ったまま高音を練習させる事もあります。
例えば「G4で息が混ざる」場合、SOVTや母音の選択を工夫し、M1からM2への移行が知覚されない「消えるブレイク」を目指します。
CCMスタイルの手法をボイストレーニングに応用する案です。

またジャンルをまたいでレッスンする場合、同じ「ヘッドボイス」という言葉の意味が全く異なるため、インストラクターと生徒の間で用語を擦り合わせることが非常に重要です。

5. まとめ

レジスター移行は単なる「技術」ではなく、ジャンルごとに異なる哲学を持っています。
– クラシック:ブレイクを隠す(共鳴操作とカバーイングで滑らかに)。
– CCM:ブレイクを消す(ミックスを形成して無かったことにする)。
– 男性:M1が強いため、軽やかな地声を育てて移行をコントロール。
– 女性:M2を活かしつつ、特にクラシックでは共鳴操作でパッサージョを安定化。

桜田の現場経験と研究を結びつけると、「ブレイクは消すか隠すか」というジャンル特性を理解した上でトレーニングを設計することが、歌手にとって最も効果的なアプローチになるといえます。

機能性発声障害と歌手のためのボイストレーニング ― シリーズ総括

👉 第1章:ミックスボイスとは何か? ― 定義と誤解
👉 第2章:ブレイクの正体 ― 地声/裏語と声道の相互作用
👉 第3章:ジャンル別のミックス ― クラシックとCCMの違い
👉 第4章:声門閉鎖と声帯疲労 ― 強すぎても弱すぎても疲れる理由
👉 第5章:レジスター移行の科学 ― SourceとFilterの関係
👉 第6章:4つの共鳴ストラテジー
👉 第7章:ベルティングの実践と限界
👉 第8章:Airflowと声門下圧のバランス ― 効率的で安全なベルティング
👉 第9章:声の音量とエネルギー効率 ― SPLで見る発声の個性

この記事を書いた人

桜田ヒロキ
桜田ヒロキ
米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。

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