【第1話】加齢で声に何が起きるのか
科学論文から読み解く「声が出にくい理由」と、その正しい理解

「昔より声の立ち上がりが遅い」
「高音が出しづらく、伸びが悪い」
「なんとなく息っぽさが増えた気がする」
40代〜60代の歌手、または声を日常的に使う方々がよく口にする変化です。多くの人がこの変化を「衰え」と感じていますが、必ずしもそうとは断言できません。
声帯は歳とともに“構造が変化する”。その変化が機能に影響しているだけで、適切に対処すれば改善可能 と考えています。
この第1話では、「加齢によって声帯で何が起きているのか」を科学論文の記述に基づいて整理し、さらに桜田の臨床経験を加えて理解を深めていきます。
なぜ歳をとると声が出にくくなるのか?
加齢による声の変化は「Presbyphonia(加齢性発声変化)」と呼ばれています。これは病気ではなく、生理的・構造的な変化です。
しかし、それを知らないと以下のような変化を誤解してしまいます。
・ウォームアップに時間がかかる
・高音が硬く感じる/伸びがなくなる
・息漏れが増える
・ピッチが揺れやすくなる
どれも体調不良ではなく、生理学的な必然です。そして正しくアプローチすれば、この“仕様変更”への対応は十分可能だと考えています。
第2章:声帯粘膜の変化(Hammond et al., 1997)——高音が“硬い”のは粘膜の物理変化
Hammond(1997)は、声帯粘膜の「固有層」が加齢でどのように変化するかを、組織学的に解析した研究です。
● 研究の要点
・コラーゲンが増える
→ 声帯が物理的に硬くなる
・エラスチンが減る
→ 振動のしなやかさが低下する
・ヒアルロン酸が減る
→ 水分保持力が低下し、乾燥しやすくなる
これらの変化は“振動効率の低下”として現れます。特に高音域では粘膜の柔らかさが必要なため、加齢で硬くなると高音の立ち上がりが悪くなります。
● 桜田のコメント
桜田のレッスンでも、40代以降の歌手が「声が起きるまでに時間がかかる」「ウォーミングアップ開始時の声が出しづらい」と感じるケースが多くなります。これは技術的な問題というより、粘膜の物理的変化そのものです。そのため、桜田スタジオでは、日々のボイストレーニング指導とボーカルマッサージの積み重ねによって、喉頭周辺の血流を改善し、粘膜の可動性を改善・維持する方針を取っています。
この粘膜変化は短期で逆転できるものではありませんが、数ヶ月〜年単位で取り組むことで十分に声の質が変わる領域です。また、エラスチンやヒアルロン酸が減るという研究背景を踏まえ、サプリメントでの補助を組み合わせるケースもあります。
声帯筋と神経の変化(Kendall, 2007)——“反応の遅さ”は筋と神経が関係している
Kendall(2007)は、老年声の特徴を「筋」「神経」の視点から整理した論文です。
● 研究の要点
・声帯筋(特にTA筋)が萎縮する
→ 声門閉鎖力が低下する
・筋線維の構成が変化(特に速筋の減少)
→ 音の“立ち上がり”が鈍くなる
・神経伝達が遅くなる
→ 発声指令から実際の振動までの反応が遅れる
これらはすべて「加齢で起こる正常範囲の変化」です。
● 桜田のコメント
年齢とともに筋の反応速度は確かに遅くなります。そのため若い頃のように、「2週間練習したら劇的に変わる」といった短期スパンでの改善は期待できません。ですが、これは悲観する材料ではありません。
日々の発声は神経筋の“再教育”としてしっかり機能します。正しい刺激を、正しい順序で、適切な頻度で与えること。
この基本を押さえるだけで、声門閉鎖や筋反応は確実に改善していきます。
桜田のレッスンでは、技術習得と喉頭機能改善を同時並行で進める設計を心がけています。これは、加齢声に必要なアプローチと一致します。

声帯萎縮は“改善不能”ではない(Mau, 2010)——可逆性があるという事実
Mau(2010)は、加齢による声帯萎縮(Presbylaryngis)について、次のようなポイントを示しています。
● 研究の要点
・声帯萎縮は“不可逆”ではない
・適切な発声訓練で改善するケースは多い
・筋活動の増加は萎縮改善に寄与する
この「可逆性がある」という点は、多くの人にとって大きな希望になると思います。
● 桜田のコメント
桜田のレッスンでも、声帯萎縮と診断された方が約3ヶ月のトレーニングで改善した例があります。実際に声が変わる人を目の当たりにすると、加齢声は“失われる音色の回復”だけではなく、“新しい身体に合わせた再獲得”と考える事が出来そうです。
歳だから無理、ではなく、その時点の身体のコントロール方法を知らなかっただけ。この視点は、加齢声に向き合う全ての歌手にとって大切なものです。
なぜ加齢後はウォームアップが効きにくいのか?
ここまでの3つの論文を統合すると、加齢後の声の特徴が浮かび上がってきます。
● 特徴のまとめ
・粘膜が硬い → しなりにくい
・筋反応が遅い → 立ち上がりが鈍い
・声門閉鎖が弱まることがある
・乾燥しやすい → 声がかたく感じる・なめらかさが衰えたように感じる
これらが揃うと、若い頃と同じウォームアップでは対応が難しくなります。
多くの歌手が「ウォームアップしても声が起きない」と相談に来ますが、それは技術が落ちたのではなく、身体の条件が変化しただけです。「昔と同じやり方」では整わなくなるのは当然で、むしろ構造に合わせて方法を変えれば、声はより自然に立ち上がるようになります。
必要なのは「変化を理解し、発声法やトレーニング設計を変える」ことです。
原因がわかれば改善が見える
これらの論文を調べて桜田の見解は、
加齢で声は変わる。しかしそれは“衰え”ではなく“構造の変化”である。
仕様が変わったなら、扱い方を変えればいいだけです。その扱い方(=ウォーミングアップやボイストレーニングの設計)を理解すれば、
・立ち上がり
・高音の硬さ
・ピッチの揺れ
・息漏れ
これらは十分に改善します。
そして、歳を重ねた声には若い頃にはなかった“味”や“深み”があります。加齢はマイナスではなく、新しい表現の入り口でもあります。
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この記事を書いた人

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米国Speech Level Singingにてアジア圏最高位レベル3.5(最高レベル5)を取得。2008〜2013年は教育管理ディレクターとして北アジアを統括。日本人唯一のインストラクターとしてデイブ・ストラウド氏(元SLS CEO)主宰のロサンゼルス合宿に抜擢。韓国ソウルやプサンでもセミナーを開催し、国際的に活動。
科学的根拠を重視し、英国Voice Care Centreでボーカルマッサージライセンスを取得。2022–2024年にニューヨーク大学Certificate in Vocology修了、Vocologistの資格を取得。
日本では「ハリウッド式ボイストレーニング」を提唱。科学と現場経験を融合させた独自メソッド。年間2,500回以上、延べ40,000回超のレッスン実績。指導した声は2,000名以上。
倖田來未、EXILE TRIBE、w-inds.などの全国ツアー帯同。舞台『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』主演・岩本照のトレーニング担当。
歌手の発声障害からの復帰支援。医療専門家との連携による、健康と芸術性を両立させるトレーニング。
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